AsaMoの音楽と私
【セミファイナル Aブロック】OTONOVA2026 (オンライン枠)
開催日: 2025/12/20
この文は筆者があくまで個人的に考えていることであるので、ご本人様の解釈とは大きくかけ離れてしまっている可能性があります。ご了承願います。
AsaMoくんの音楽は、「美しさ」というものにフルスイングしていると思っています。それも、大人になって植え付けられた価値観ではなく、誰に教えられるでもなく幼少期に感じた原点的な美しさの類のそれだと思っています。
彼の音楽に触れたとき、まだ身長が低かった子供の頃に見た景色はもっと、綺麗で輝いていて、太陽も雨も、曇りの日ですら全部全部美しかったことを思い出しました。
大人になる度に、要らないもので頭が一杯になって色んなものを人々は忘れていきます。AsaMoくんの音楽は、身体のなかを色んなものでぎゅうぎゅうにして大人になった「つもり」の聴き手の私たちを、胸ぐらをつかんで原点に引き戻してくれます。そうして、日々そこにある景色を子供の頃と同じように、美しいと思える。窓から差し込む光に照らされて舞う埃が綺麗に見えたあの頃に。
私がAsaMoくんの曲で好きなのは『窓辺は退屈』です。人は時間が経つに連れ大人になったと思いこんでしまう。でも本当の大人はいつでも子供に戻れるものだと思っています。子供に戻ると世界の美しさを思い出して、対比して大人になった自分の醜さに辟易する。それに対峙でき、それでも無邪気に戻れるのが「大人」であると個人的には思っているのです。
この曲は大人になったつもりの我々に喝を入れてくれます。変わっていく自分、たくさん傷ついてたくさん恨んで、僻んで、悩んで。それでも世界は綺麗なのだと、我々に突きつけてくる。歪んだのは私だ、窓辺に飾られた花と、崖の下から伸びる花との対比に何を重ねるのかは己の心が決めると思います。
かといって、その美しいものや景色もずっとそこにあるわけではありません。かたちあるものはいつか枯れる。それもまた美しさである。AsaMoくんの音楽は、忘れていた綺麗なものすべてを思い出させてくれてなおかつ、大人になった脳での再解釈まで手伝ってくれます。
こんなに美しいものを生み出せる作曲家が、この令和の時代、他にいましょうか。陽の目を浴びて欲しいと心から思っています。
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