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幾年 〜私が見たかわむらいさみの25年〜

渋谷ストリームホール【東京】 かわむらいさみBAND

【FINAL】OTONOVA2023

開催日: 2023/02/04

数十年という長い間、ひとつの道を信じて止まらずに走り続けられる人はどれだけいるのだろう。


私の場合は音楽の足を止めてしまった。社会人になり時間がとれなくなった、などとよくある言い訳を思い浮かべてみるが、本当は彼と出会った瞬間に決まっていたのだ。



1999年、19歳の時、地元新潟のライブハウスでかわむらいさみと対バンした。すでに有名だった彼のバンド乱舞虎。事前にデモテープを聴いて感じた「かなわない」という予感は、その日ライブを見て確信に変わる。
彼との長い親交の始まりであり、私の挫折への入口でもあった。


それから乱舞虎はあっという間にコンテストで賞をさらい、数年後にはワンマンライブをソールドアウトさせた。会場を埋めたファンの誰もが、フロントマンであるかわむらの活躍する未来を信じて疑わなかった。希望と興奮に満ちたあの夜を今でも忘れることはない。


程なくして、かわむらいさみは「幾年」という名曲を残し東京へと旅立っていった。


 


《幾年 時は流れた》
《まるで僕らを捨て去るかのように》
《吹けよこの季節風 この淋しさを》
《吹き消し去るほどに》


《時は巡るように見え》
《実は二度と戻らない》


《友よ 時は流れた》
《にもかかわらず》
《おれは相変わらずだよ》


 


ーーあれから何年たったのだろう。
私は結婚し、生まれた子どもは中学生になった。
かわむらは故郷に帰ることなく、まだ東京で音楽を続けていた。


 


2022年も暮れに近づいた頃、彼の最新ソロアルバムが届いた。そこに収録された「チンチリハラリ節」という曲を聴いた私は涙を流した。
夢を諦めきれないオヤジのアンセムとしてこれ以上の曲はないと思った。まさしくかわむらいさみの真骨頂であり金字塔だ。さらに決意表明と言ってもいい。
「自分の曲で笑顔になる人がいる限りギターを弾き歌い続ける」
その強い覚悟に私の感情は揺さぶられていた。
と同時に、気が付いた。
10代の頃から「かわむらいさみ」という芯が全くブレていないことに。どれだけの月日が流れても、彼は自分の音楽を貫いて生きているのだ。


突き動かされた私は、これまで彼と過ごした長い年月に思いを巡らせた。
かわむらいさみというアーティストの魅力とは何なのか。この機会に改めて考えてみたい。



まず彼のソングライティングに注目しよう。
CDが大量生産されていた時代、アルバムを買ってみたら代表曲以外パッとせずがっかりした、という経験がある方は多いのではないか。
かわむらの作るアルバムには捨て曲という概念が存在しない。「収録する作品全てをシングル曲にする」そんな青臭い理想に挑み続け、決して産みの苦しみから逃げ出さなかった。
その結果、琴線に触れる磨き抜かれた楽曲のみが彼のディスコグラフィに刻まれた。



さらに特筆すべきはそのオリジナリティだ。
自分の生み出した曲をもっと多くの人に届けたい。だが耳障りの良い恋愛ソングで大衆に迎合したくはない。そんなジレンマが彼にオルタナティブなアイデンティティを与え続け、個性は磨かれてきた。
楽曲提供においても、関わる人々やクライアントの想いに寄り添うことで新たなテーマを模索し、真のオリジナルソングを書き上げてきた。


どの曲にも似ていない彼にしか書けないキャッチーな楽曲。それがかわむらいさみの最大の魅力だ。



次に演奏力について考えてみよう。
彼は活動初期から「弾きながら歌う」という事にこだわっていた。しかしそれは、ギターでコードを鳴らすだけの弾き語りとは異なる。
かわむらは、あらゆるリフやフレーズを弾きながら歌う。アルペジオは粒がそろい、カッティングはソリッド。それも全て歌と同時に、正確に鳴らす。もちろん無駄にテクニカルなひけらかしはしない。あくまでも歌を引き立たせるために演奏する。
このスタイルは乱舞虎の初期スリーピース編成の時代に始まり、その後幾多のライブで鍛え上げられた。現在も精力的に続ける路上演奏でひときわ輝きを放っている。
バンド編成なら言わずもがな、一人だけでステージに立っても、ギター1本とは思えないパフォーマンスで観客を圧倒する。
プロかアマチュアかに関わらず、ここまで演奏スタイルを確立しているギタリストはそういない。さらにボーカルと同時に弾きこなせるアーティストとなればなおさらだ。一人二役の到達点と表現しても言い過ぎではないだろう。その技術は、器用という一言で片付けられない積年の努力の結晶なのだ。


努力の跡は歌声からも感じ取れる。
若いエネルギーで荒削りに声を張り上げた活動初期。そこからボイストレーニングなどを経て安定したピッチや発声を身に着けた。あとはひたすらライブや配信で歌い続ける毎日。やがて年季の入った彼の喉には、キャリアに裏打ちされた深みが宿り、表現力のレンジは大きく広がった。


こうして円熟したかわむらの歌唱と演奏を、強力なサポートミュージシャンが支える。それが「かわむらいさみBAND」だ。


今や彼の楽曲とその演奏は、非の打ち所のないレベルに達している。


 



ーーにも関わらず、
いまだにバズらない。
大ヒットもない。
あと一歩、あと半歩という所でブレイクスルーに恵まれない彼は、東京の片隅でもがき続けていた。



不運の一言で片付けるにはあまりに長期戦となったかわむらの音楽人生。
道草を一切せず真っすぐに駆け抜けていれば、もっと若くして成功していたのではないか。そうした意見が出ても否定はできない。確かに彼のこれまでの道程は順風満帆とは言い難いものだった。
煩悩に苛まれた日もある。脇の甘さからくる失敗もある。数え切れない横道や寄り道が彼を遠回りさせてきた。


しかし今にして思えば、その紆余曲折もかわむらいさみには必要だったのではないか。最短距離を急ぐだけの人には見ることができない景色があるからだ。


私の知る彼は、どんな道草に対しても純粋と言えるほどの熱意で取り組んでいた。そこが山であろうと川であろうと、全力で飛び込み楽しんでいた。そして常に目の前の人を巻き込み笑顔にしようとしていた。


結局、誰かを楽しませることこそが、かわむらいさみ最大のテーマであり、生き甲斐なのではないか。
その手段が彼にとっては音楽だった。それだけのことだ。道草の経験は財産となり、楽曲に生まれ変わって、聴く人を楽しませる。そうやって彼はここまで生きてきたのだ。


 


「継続は力なり」なんて言葉は誰もが知っている。頭では理解してはいる。だが本当に中身のある継続を維持するのは、容易なことではない。継続にも才能が必要だ。
私生活ではユーモラスすぎて時に不謹慎な逸脱を生じる事も多い彼だが、こと音楽に関しては常に誠実であり続けた。
どれだけ遠回りしても音楽という歩みだけは一度も止めなかった。諦めず歌い続けてきた。
たとえ果てしない道だとしても「継続」して行ける。それこそが、かわむらいさみの才能なのだ。


 



こうして彼は今も現在進行形で音楽に人生をささげている。
売れなかったとしても、ここまできたらもう一生やってもらうしかない。だって、じいさんになったかわむらいさみが唄うチンチリハラリ節を聴いてみたいじゃないか。それはきっと今よりずっと勇ましく美しいに違いない。


そして棺おけに片脚を入れた頃、長年待ちわびたバズが訪れるというオチ。もしくはあの世から眺めるチャートイン。そんな売れ方も彼らしくておもしろいかもしれない。


 



ーーしかし、


もしもこれまでの彼の愚行をお許しになり努力を認めてくれる神様仏様がいらっしゃるのならば、
今こそあいつに強い光をあててやってくれ。


そして偶然かわむらいさみを知ったみなさんも、どうか、今、力をお貸しください。


最古参応援者の語り尽くせぬリポートの締めくくりは結局その願いに尽きる。


 


歌い続けろ、かわむらいさみ。

投稿者

toshiquee

2023/01/22 01:15

ppyon

No.2119452

素敵です。
2024/05/22 05:38

F.K

No.2106826

素敵です
2024/05/13 13:20

もりぴぃ🍀

No.2102218

nice report!
2024/05/09 20:55

yonee

No.2046290

素敵です
2024/02/25 10:54

yonee

No.2045798

素敵です
2024/02/24 22:35

おくさ

No.2000586

ナイスレポート
2024/01/31 03:13

ゆずれもん

No.1995399

すてきです!
2024/01/30 12:46

みみ。

No.1851407

ナイスです
2024/01/16 19:12

水戸納豆

No.1791277

ナイスレポート
2024/01/10 17:46

にゃたん

No.1771800

素敵です
2024/01/08 21:03

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