ピアノが歌う、生きるという感情 ― 高遠波名の音楽世界
【セミファイナル Dブロック】OTONOVA2026 (オンライン枠)
開催日: 2025/12/20
高遠波名さんは、ピアノ弾き語りという表現形態を通して、「生きることの痛みと希望」を真正面から描き出す歌手であると感じました。彼女の音楽において、ピアノは単なる伴奏ではありません。歌を支える存在であると同時に、感情を語り、叫び、寄り添う――まさにピアノそのものが歌っているのです。
「絡まった熱」では、恋愛に翻弄されながらも離れられない心と体の状態が描かれます。その複雑に絡み合った感情は、言葉だけでなく、ピアノの響きによっても表現されています。和音の重なりや強弱の変化が、抑えきれない感情のうねりを映し出し、歌声と一体となって聴き手の心に迫ってきます。ここで鳴るピアノは、感情をなぞるのではなく、感情そのものとして存在しています。
「離れた刃」では、恋愛によって生まれる狂気や苦悩が鋭い言葉で描かれますが、その緊張感をさらに深めているのがピアノです。突き刺すような音、間の取り方、沈黙の使い方が、「ことばの刃」をより鮮明に浮かび上がらせます。歌とピアノが対立するのではなく、互いに傷つけ合いながらも共存しているように感じられ、そこに人間の弱さと生々しさが強く表れています。
そして「纏った青」では、理想から一度離れた自分を受け入れ、それでも前に進もうとする姿が描かれます。「さぁ ここから」という言葉に呼応するように、ピアノは明るく、伸びやかに響きます。この場面では、ピアノが歌声を包み込み、背中を押す存在となり、青空のような清々しさを生み出しています。ここでもやはり、ピアノは“弾かれている”のではなく、“歌っている”のです。
高遠波名さんの音楽は、悩みや狂気、絡まり合う感情を否定せず、それらすべてを抱えたまま「生きている」ことを肯定します。歌声と言葉、そして歌うピアノが一体となることで、聴き手自身の人生と静かに重なり合う。彼女のピアノ弾き語りは、人生の糸が縺れながらも続いていくことを、優しく、そして力強く伝えてくれるのです。
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