ちょっと評論家ぶってみた
聖さんとのファーストコンタクトは上野駅前の路上ライブでした。心に訴えかけてくる彼女の歌声は、私の足を止めるには十分な力を持っていた。それ以来、その場で購入したCDを聴き、YouTubeでいくつかの楽曲を追いかけ、ライブに参戦し、徐々に沼に近づいている。
聖さんの曲には二つの潮流があるように感じる。一つは、世の中の不条理や理不尽を訴え、それに怒り、抗う力強い曲であり、もう一つは社会の中で悩み、疲れていく人の内面を解き明かし、寄り添っていく優しい曲。どうにもならない世の中へのやりきれない感情という芯はあるものの、二つの流れの間には、それだけでは語りきれないほどの大きな振り幅がある。それがいったい何を意味しているか、つかみきれない自分にもどかしさを感じていた。
その疑問は聖さんの一言で一瞬にして氷解した。
「私は盾になりたい」
そういうことか。彼女の歌は社会を撃つための銃でもなく、不条理を切り裂くための剣でもない。あくまで弱く傷んでいる人たちを守るための盾なのだ。守るべき人たちを代弁する時には激しく、いたわるためには優しく。使い方が違うだけで、「聖」という盾が人を守るための武器であることに変わりはない。そもそも振り幅など無かったのである。
この盾が今後どのような技を繰り広げていくのか、いつ光り輝く黄金の盾へと変化を遂げるのか、多くの人に見守ってほしいと願っている。
2023/12/20