Summer LOVE (作詞、歌唱 白石夏菜)
その楽曲をモチーフにした
ファンに贈る応援小説である。
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夏が終わろうとしていた。
珍しく寒空が目立つ夏であった。
6月の頭に32℃を記録したことから、誰もが灼熱の夏休みを予感した。
だが、予想は覆された。
10年間、予想を外さない日本随一の天気予報士の韮沢明宏さえ、このあまりにも急展開な夏の変容に舌を巻いた。
ラジオから流れる白石夏菜のSummer LOVE。
毎年の恒例である。
しかしながら、誰が、7月に雪が降ることを予想したものだろう。
厳密には、異常気象による氷である。
陰謀論者は、こぞってアメリカの電波的な気象操作を唱え、中にはAI画像ソフトによる、偽造画像がSNSに溢れた。
私がこの文章を書いているのは、病室のベッドの上だ。
厳密にはタブレット端末に右手の親指による文字入力だが。
白石夏菜の箱根のイベントを最後に、私はライブどころか、病室を離れることが出来ずにいる。
緊張性気胸で右の肺が膨張し、心臓を圧迫した2年前、右の肺に管を刺され、空気を抜かれた瞬間は、何よりの壮絶な痛みを伴った。
そして、1年後、左の肺が再び心臓を圧迫した。2度目の気胸である。
そして、今、私は肺癌を宣告され、病室にいる。ステージ4である。
私がこれを書いている理由には、生への何物にも変えがたい執着がある。
今の時代、ラジオアプリで全国のラジオが聴ける便利な時代。
そして夏のこの季節、Summer LOVEが1日3回は耳に届く。
仕舞いには、となりの病室の見舞いにきた婆様までが、病院にも関わらず歌いだす始末だ。
その度に、最後に行った箱根のライブを思い出すのだ。
白石夏菜の大盛り上がりのライブだったが、実は箱根に行ったのはもう1つ理由があった。
10代からの友人に会うためだった。
彼は、私が箱根に行く3日前に亡くなった。
本来は一緒にライブ前に飯を食べるはずだった。
彼の葬儀に参列し、火葬場で彼の骨を箸で挟んだとき、私は次に彼に会うときには、何かもっと大きな、手土産になる何かを持っていかなければならないと誓った。
彼には世話になった。
リーマンショックで失った4000万円を取り戻せたのは、彼のおかげだ。
だが、今の私は弱っている。
弱みは見せたくない。依然としてプライドだけは高い私だ。
しかし、肺を執拗に攻撃してくる病魔の前に、私は屈しかけていた、それは昨日の22時までの話だ。
私の目の前に正体不明な影が現れるまでの話だ。
ここからは、その影について話していこう。
昨晩の話だ。
20時の消灯後、私は感じたことのない気配に支配された。
病院には都市伝説が存在する。
いわゆる霊的なものである。
死んだ父母が現れた。
中には江戸時代の武士が現れたなんてのもある。
それらのほとんどは、恐怖を感じる類いの体験談だ。
しかしながら、今回の私の体験はそれらとは一線を画すのである。
黒い影は22時に訪れた。
ドアが開く音が聞こえ、看護婦の巡察にしては時間が早いと思った。
そして、目の前のカーテンが開いた。
黒い影、男性か女性かも判別できない、何者なのか?判断はできない。
ただ、恐怖は一切感じなかった。
その影は私に話しかけてきた。
話すと言っても脳内に直接伝えてくる感じだ。
正直、会話の内容は記憶に薄いのだ。
だが、覚えてるのは、会話の最中に病室の景色がいくつかの景色に変わったことだ。
まずは、川なのか、海なのか、よくわからない水の流れを感じる場所で、船乗り場があり爺さんがいる。
そのあと、白石夏菜のSummer LOVEがカットインするように流れ始め、例の箱根のライブ会場に景色が一変する。
不思議だったのは、先の船乗り場の爺さんもステージ前の最前列に立っている。
そして、しばらくすると景色は変わり、東京タワーに変わった。
だが、見たことない東京タワーの景色だ。
見たことないその東京タワーの入り口には、「G」という表記がされた雰囲気の重たい扉があり、羽の映えた男性なのか女性なのか判断できない人物が私を手まねいている。
私は動くことができない。
すると、私の足元に蛇が現れた。
恐怖は一切なかった。
しばらくし、先の船着き場の景色に変わり、箱根のSummer LOVEに変わり、東京タワーのGの扉の3パターンを幾度かループしていた。
そして、気づいたら病室に戻り、黒い影は消えた。
一体あの経験はなんだったのか?
未だにわからない。
夢だったのか?
しかしながら、意識的に夢ではないという証拠を残した。
その影が現れた時、丁度手の届くところにあったメモ用紙とボールペンで、紙に印をつけた。
夢ではない証拠を残すためだ。
その証拠は今も目の前にある。
今これを書いているのは、丁度午前0時だ。
スマートフォンにはイアフォンが接続されており、久しぶりに白石夏菜のSHOWROOMを聴いている。
1000日連続放送記念日らしい。
思えば、何かを連続して継続したことと言えば、私には何があっただろう。
2000年初頭から始めた外国為替通貨取引と、朝の散歩くらいか?
しかしながら、月初に買って月末に売っておけば儲かった時代だ。
リーマンショックで4000万円を失い、その時に箱根のやつに助けてもらった。
思えば、やつに世話になったのは、定期的に、私の人生の節々にやつの助けがあった。
段々書くことが薄れてきた。
例によって隣の病室に例の婆さんが現れ、Summer LOVEを熱唱している。
今回は、院長が自ら制止に来たようだ。
確かに気持ちはわかる。
オートチューンをかけていただきたいほどに、ピッチの乱れた歌唱だった。
それでいて、語尾のビブラートが上下1音に触れるくらいな、演歌歌手もビックリな歌いっぷりだ。
ボールペンのインクがなくなりかけてきた。
この辺にしておこうかと思う。
なぜならば
実を言うと、この後、手術なのである。
先日、見舞いに来た姉に言われたことがきっかけでペンを取り始めたのが、この取り留めもない長文なのである。
姉の最後の言葉が今も気になるのだ。
「何か残すことあるかもしれないし、とりあえず暇だろうから、なんか書いといてよ」
なんなのだろう?遺書のつもりか?
姉は私の知らない私に関する事実を知ってる節がある。
インクも切れそうだ。
その何かを記すのなら
隣の婆さんのSummer LOVEだけは二度と聴きたくない。
終劇
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執筆:武藤大輔