どんな時も足を止めないバンド「ベスハチ」
私がベスハチと出会ったのは2011年。

別のバンドを見に行った際に対バンで出ていて一目惚れした。
その時一番心に刺さった曲印象に残ってる曲は「エレベーターガール」私にとって今まで聴いたことの無いジャンルだと思った。
ベース好きの私は独特なベースラインに惹かれて、何よりボーカルのミワユータさんの圧倒的存在感に魅了された。
ライブに行き始めてからこれまで、ベスハチは本当に波乱万丈だった。私が出会った時は5人だった。
ギターのフカミさんが急性骨髄性白血病で戦線離脱。
最近ではフカミさんが戻ってくるまでやらない曲となった「銃声に鳴る彼のタンバリン」は全員前に出てきて演奏するパフォーマンスの時間がある。それが凄くかっこよくて圧倒される。大好きだった。
フカミさんがモニターに足を乗せてギターをかき鳴らす姿は今も脳裏に焼き付いていて、4人になったライブ中に思い出し、涙を堪えながら見ていたのを覚えている。
そしてユータさんの脳炎。衝撃だった。
活動休止だと思った。
しかしベスハチは3人でライブを続けていた。
私は当時子供を産んだばかりでなかなかライブに行けない時期というのもあったけど、「ユータさんのいないベスハチ」というのを心が受け止めきれなくて一度も行けず、復活を待った。
いろいろ飛ばすがコロナが訪れ、ライブやイベント、友達との飲み会でさえも全て中止になり人と会うことを許されなくなった日常に私は病んだ。その時思い出した言葉がある。
東日本大震災が起きて、ライブはおろかバラエティ番組を放送することすら不謹慎だという空気になっていた中、年間100本ステージに上がるライブバンドのベスハチは被災地でのライブが控えており、決行するか悩み、悩んだ末ライブをしに行った際、来てくれてありがとう、元気をもらえましたと言ってもらえた。"音楽は微力ではあるが無力ではないと思った"
そう言ってたのを当時は客観的に聞いていたけど、この時その言葉がとても身に沁みて、身近な人の心を明るくするくらいは私にも出来るかもしれないと思い、コロナ禍にダンスイベントを開催した。
今度はユータさんが乳がんになった。
この時はなぜか絶対にまたステージに戻って来るという確信があった。
同時期にリリースされた「あたしバンドマン」はバンドマンとして生きると決めた女性の曲。ではあるけど、私はこの曲をもっと広く捉えていて、女性にとって結婚出産が幸せである風潮がまだまだある世の中、様々な事情で出産できない人もいるし、夢中になってる事があるからその道を生きる。それがその人にとっての幸せであり、そういう選択肢が普通になってほしい、これは全女性に聴いてほしいと思った。
ただただお客さんとしてライブを見に行くのが趣味だった私がベースを始めてバンドを組んで、バンドメンバーをベスハチのライブに連れて行った。見事にハマってくれた、嬉しかった。でしょ?かっこいいでしょ?ってニヤニヤした。
そして自分たちのライブで「あたしバンドマン」をやることになった。こんなに心を込めてMCをしたのは初めてだった。
ベスハチの歴史と、どうしてこの曲を聴いてほしいのか伝えてから歌った。泣いてる人もいたし、この日以来ベスハチ聴くようになったと言ってくれる人もいた。
今は何度かユータさんのステージ衣装も作らせて頂いている。
私は私に出来る形でこれからもベスハチを推し広めていきたい。
明日は絶対ベスハチが優勝する。
2025/01/25